いおぴいまんがX(エックス)で投稿した内容について、YouTubeで詳しく内容を深堀するコーナー。
それの、まとめ
テキスト化
「学童保育で子どもをほめる」というテーマについてお届けします。
絵が上手な3年生女子に「すごっレベル高っ!!」と指導員がほめると「うるさい、下手くそや」とその子に言われる。
また別の日に宿題の時「丁寧に漢字書けてるね、はなまる〜」と声をかけると「無理無理、うざい」と言われた。
ボードゲーム中に「やるなぁ、天才現る」と指導員がつぶやいたときは「違うわ、アホやアホ」とその子は自分を下げる発言。
という内容をツイートしたんですが、これは全部、別々の日のことなんです。
「ほめる」ってむずかしいですよね
これについて「 子どもが照れているんじゃないか?」「照れ隠しで否定するってタイプじゃない⁉」というコメントもXでもらいました。
その子が「心底、嫌がっている様子はない」と指導員は感じたので、「確かにそんな部分もあるかもねー」って私も感じました。
しかしね。その子は
「何か自分の心のバランスを取ろうとしている感じがある。そうせざるを得ない理由が何かある。」
ともツイートしているように、もっとその言葉の(否定する)背景には何かあるように私は感じています。
何でかって言うとね。
この子はこの子の保護者から、結構こういったマイナスの言葉をかけられていることがあったんです。
「どうせ無理」とか「ダメだ」みたいな言葉を日常的に言われていたんです。
宿題のことを保護者に話した時は「こいつアホやから…」と保護者はその子に言っていたことがあったんです。
なので「照れている」ということ以上に、この子の場合に限っては日頃から保護者にそういった「プラスの言葉をかけてもらっていなかった」ということもあったということが私の中ではありました。
だから指導員からのプラスの声をかけ(ほめること)に対して
「自分を否定してしまう」
「自己肯定感下げ下げ」
のような態度を取ってしまうことに繋がってしまっているのかなと思いました。
なのでそこで指導員としては
さらに「プラスの言葉がけ」をどんどんこの子にかけていくことで、この子が「安心感」を得て「自分は自分で大丈夫」って思える土台を築きあげられるきっかけをあたえられたらいいなと感じたんです。
しかし、単にほめればいい。
そう思っているわけではなく、承認とか認める。受け止める。という意識を指導員として持つことが大切と感じているので
過度な期待はしない。
信じ続ける。
このことでこの子を「指導員として支えていきたいな」と感じたということがこのツイートの意図でした。
また、ほめられると「馬鹿にされているような気がする」と感じる人がいる。
また、ほめられても「ポイントはそこじゃないのに‼」と感じてイラっとする人もいる。
というご意見をXでいただいたんですが、これも結局は「その人がそう感じてしまう」=「その人の自己肯定感が下げ下げ状態である」ということとが、つながっているように感じます。
今回はここでもう一つ、ほめることについて発信します。
それは
学童保育で子どもをほめる時は「結果ではなく過程をほめる」
ということです。
「二重跳び10回できてすごいね」と結果をほめるより
「二重跳び10回できるように何度もチャレンジしていたのすごいね」と過程の部分に指導員が目を向ける。
そこがポイントです。
結果をほめるとプレッシャーになる。
子どもは「次も10回跳べないとダメだ」という心境に陥る。
ここを指導員として抑えておきたい。
「テストで100点とったのすごい」と言われたら「100点取らないと意味がない。価値がない。ぼくはダメだ」と自分を追い込んでしまう。
それでは、ほめても逆効果。
だから過程の部分に目を向ける。
それは「ほめる」より「認める」という感覚。承認の方が大事。
こんなツイートをしました。
これは大切な視点です。
子どもをほめるとき、結果ばかりをほめるんじゃなくって、その子がそこに到達するまでに努力した部分。
つまり過程の部分に目を向けるべきという視点です。
例えば
・なわとびで何度も引っかかってもあきらめずに跳ぼうとチャレンジした部分
・漢字テストで100点取ったとしたら、その子が普段の宿題の時から漢字を丁寧にしっかりと書いていた部分
に目を向ける。
「絶対次も100点を取らないとダメ」
「100点取らないと意味がない。価値がない」
と自分を追い込んでしまう原因は、結果をほめてしまうことにあり。
・工作がうまいね
・折り紙すごいね
じゃあ工作や折り紙がうまくなかったら、「自分はダメだ…」とネガティブ思考になってしまう子もいると思うので、そういったところに目を向ける。
私もね。同じなんです。
「すごいですねっ」て言われたら「いえいえいえ全然そんなことありませ ん」って謙遜します。
何でかって言うと自分が 「できる」っていうふうに認めてしまうことでハードルが上がってしまうからです。
勝手に期待を背負ってプレッシャーを自分で自分に与えてしまうところがあるからです。
「いおぴいまんの YouTubeすごいですね」て言われたら「 ああどうしよう⁉すごい内容の動画をアップしなくては!」てプレッシャーに押しつぶされそうになるんです。
ナイーブな性格ですからね。
だからそこで
「投稿し続けている。ライブ配信とかにチャレンジしているのがナイスですね」って言っていただけるとうれしいですし、安心できます。
なぜならそれは、過程の部分をほめてもらえてるからです。
結果じゃなくってその「頑張ってやろう」としている部分に目を向けてほめてもらえると、私は安心できます。
それでまたこれが心にグッと響くんですよね。
うれしいんです。
それで最後に、もう1つだけねお伝えしたいことがあります。
それは「共感」です。
そもそも「ほめる」って子どもにとって必要かどうかっていうと、そんなに重要じゃないじゃない?という話です。
「えーっ、そうなの?今までの話は何だったの?」
となってしまいますが、そうなんです。
「ほめる」より「共感」とか「寄り添う」「認める」が最重要と思っています。
「二重とび10回とべた」ときにはほめるんじゃなくて、同じ気持ちに共感することが大切。
ということです。
その子が二重跳びができて喜んでいたら同じように、そのうれしい気持ちに指導員が共感するということです。
「うれしいんだね」
「私もうれしいよ」
です。
「君が嬉しい姿は私も嬉しいよ」というように共にその喜びを共感し、その子と一緒に、そのことについて喜んであげられる存在が学童保育指導員です。
そこが重要であり、それが「ナイスだな」と感じました。
だから、テストで100点とれた子に対しては聞いてみたらいいと思うんです。
「どう感じたの?」と。
「こんなの当然さ」
「うれしい」
「まだまだ」
子どもがどう感じるかは自由です。
その時、指導員は「ああなるほどね。そういう気持ちなんだね。うんうん」と受け止める。
これだけでいいんです。
これが「寄り添う」とか「認める」ということです。
「これができればほめる必要も叱る必要もないんじゃないかな」と私は感じました。
これはね。Xのフォロワーの「なべさん」の影響です。
私が尊敬している「なべさん」からのコメントで「ハッ」と気づかせていただいたことなんです。
ちょっと角度を変えて「10回かー!嬉しいね!」と、「ほめる」というよりか「感情(気持ち)に寄り添う」というのもいいなと思います😊「結果より過程を」とはよく言われますが、子どもを見てるとやはり「『跳べた!』という『嬉しさ』や『達成感』」は大きいんだなーということを感じさせられたのです
というコメントを「なべさん」からいただきました。
ほめることよりも、気持ちに寄り添う指導員。
「これこそが理想だな」
そう感じたので最後にお話しさせていただきました。
いやー。ホントほめるって奥が深いですねー。
また、みなさんからのコメントやご意見もどんどん募集しています。
今回は「学童保育で子どもをほめる」というテーマでしたが、みなさんも色々感じ、様々な考えがおありだろうと想像します。
また、いおぴいまんと交流して共に学び合いましょう!
じゃあねー。バイバイ
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
じゃーねー