何回言ったらわかるのよ
いい加減にしなさい
コラーッ‼
今日は「学童保育で指導員が子どもを怒る、叱る…」についてイオピーマンなりに簡単にわかりやすくお伝えしていきます。
この記事を読むことで怒る、叱ることは目的ではなく手段であることが理解できるようになります。
そうなることで、子どもたちに伝わる伝え方を選び、冷静に子どもたちと関われるきっかけが生まれることにつながります。
怒らなければならない…
叱らなければいけない…
と思わなくても、それは子どもに正しいことを伝える方法のひとつであることが確認できる内容となっています。
どうぞ最後までお付き合いください。
何で怒るの?叱るの?
そもそも何で子どもたちを怒るのかを考えてみます。
その理由は子どもたちに
ちゃんとしてほしい
ダメなことは駄目であることを伝えるべき…
という思いが指導員からあふれだすからです。
- 怒らないといけない
- 叱らないとケジメがつかない
と強く思うことが理由のひとつです。
そしてそのことはとても大切なことです。
指導員として子どもの生活に責任を持つ立場として、許せない子どもの行動があれば当然それは伝えるべき、注意するべきです。
その思いがあふれることは否めません。
それだけ何とかしたいと思っている気持ちの現われです。
それは熱い思い…
この記事内では、怒るも叱るも同じ意味で表現します。
厳密には違うという説…
また
許せない‼
いい加減にして‼
などの思いが沸き上がり、つい感情的になってしまうことも子どもを怒るきっかけとなります。
感情的に怒っても叱っても、子どもたちにもたらす効果はない…と頭では理解していても怒ってしまうケースはよくあります。
そこで私たちは、子どもとの関わり方や保育に悩みを抱きます。
ちゃんとしてほしいけど怒っても効果なし…
でも怒らなくてはいけない…
子どもたちの生活が乱れてしまわないように…
そしてよく言うあのセリフが飛び出します。
こっちだって好きで怒っているんじゃないわよ‼
あなたが怒らせることをしてるからでしょ‼
それウチの嫁によく言われるやつ…
- ちゃんとしてほしい
- 怒らなければ…
- 叱らなければ…
- ケジメが必要…
- 子どもの行動を正すべし…
という思いが指導員からあふれ出すことが、「怒る、叱る」原因を生むように感じられます。
そもそも怒る必要はある?
学童保育で子どもを怒る、叱る必要はあります。
しかし、その必要はない…とも言えます。
どっちなの?
まずは必要性ありから説明します。
怒る叱る必要あり
学童保育で時に子どもを怒る、叱ることは重要です。
なぜなら、子どもの安全を守るため、子どもが社会で生きる力を身に付けるためには指導員が叱ることが必要だからです。
- 学童保育で安全に過ごせるように…
- 学童保育でみんなが快適に過ごせるように…
そのことを「伝えるため」に私たちは叱ります。
ポイントは伝えるために…です。
怒る、叱るは
伝える手段…
怒る叱る必要があるのは、大切なことを伝える必要があるからです。
- 危険なことを止める時、諭す時
- 善悪を伝える時
- 心に訴えかける時
叱る必要はありますが、その目的は叱ることではなく、「伝えること」であることがポイントです。
ものを投げる…
誰かを傷つける…
迷惑をかける…
私たちはこれらの子どもの行動が二度と起こらないように、あらゆる方法を考え、いろいろな手を使い、子どもたちと関わる必要があります。
ここでポイントです。
子どもを怒る、叱る、しつけるときは子どもたちと真摯に向き合うことが絶対条件となります。
真剣に
向き合う
それは恐怖を与え、威圧するのではない指導員の関わり方です。
指導員が子どもと心の底から向き合う姿勢がポイントとなります。
子どもの力を信じて、子どもの未来を切り拓くために指導員は子どもたちを叱ります。
そして向き合います。
それが学童保育で求められる指導員の関わり方である…と私は感じています。
「叱る」という関わり方
昔、叱ってくれたいい先生…説
- 昔は先生によく叱られたものだ…
- 今、思うと怒られたことに感謝しているよ…
という大人たちの中に
- 子どもを甘やかせてはいけない…
- しっかりと叱ってあげるべき…
と感じている方々もおられます。
その場合の「昔叱ってくれた先生」は、「子どもと向き合ってくれていた先生」であったはず…と考えてみます。
そうすると、ここでいう「昔わんぱくの人」は怖い思いをさせられて、無理やり言うことを聞かされたことに感謝しているのではないことが理解できます。
- 昔は先生によく叱られたものだ…
- 今、思うと怒られたことに感謝しているよ…
この人ね⇧
大切にしたい視点は
よく見てくれた…よく叱られたけど、よく理解してくれた先生がそこにいたことです。
ただ単に
- 怒ればいい
- 厳しくするもの
という価値観ではない先生の「愛のムチ」がそこにあったということです。
たぶんね…
怒る叱る必要なし
学童保育で子どもを怒る、叱ること必要はありません。
なぜなら、正しいことを伝えることができれば怒る必要はないからです。
目的は伝えることなので、それが達成できれば叱る必要は当然なくなります。
伝え方
いろいろ…
あえて叱る伝え方をする必要はない…ということです。
そして子どもたちは、怒って叱って、言うことを聞かせる存在でもありません。
えーっでも、叱らないと子どもたちが自由になりすぎて、やりたい放題、好き勝手しすぎる学童保育になってしまい学童崩壊になってしまうんじゃないのー?
と思うかも知れません。
その通りです…
子どもたちは
- 怒られない…
- 見られていない…
と感じると、やりたい放題になってしまう部分も当然あります。
しかし
怒られながら、指導員にビクビクしながら学童保育で過ごす必要はありません。
怒る必要がないのは、この部分です。
恐怖を与え、威圧して子どもをコントロールする関わりは必要ない…
というより、してはいけません。
- 子どもたちをコントロールしない生活づくり…
- 子どもたちの自治や主体性が発揮できる生活づくり…
これは子どもの権利を保障することに繋がります。
子どもは「のびのびと生きる権利」があります。
子どもはビクビク脅される
存在ではない…
そこで、子どもたちがその気になるようなきっかけや働きかけを通して、指導員は子どもたちを正しい方向に導きます。そして伝えます。
学童保育指導員の「指導」とはこのことです。
指導とは…怒ること、叱ることではありません。
怒る叱るは手段
怒る叱る…ことは手段ですが目的ではありません。
なぜなら、目的は「安全や社会性について子どもたちに伝えること」だからです。
目的は伝えること
叱るは手段…
その目的が達成されるのであれば、怒る、叱ることは必要はなくなります。
注意するべき視点は、怒ることが目的になってしまう場合です。
- 怒らなければだめ
- けじめが大事…
これは目的と手段を取り違っているケースです。
たとえば
女の子にモテたい(目的)と思ってダイエット(手段)をします。
しかし、ご飯を食べないことでイライラがつもり、いつも不機嫌で不健康になってしまうとその人に魅力がなくなってしまいます。結果、女の子にはモテません。
ダイエットが目的となってダイエットで成功できたとしても、女の子にモテなければ意味がありません。
痩せたけど
魅力なし
優雅な暮らしをしたい(目的)と思います。それには、お金を稼ぐ(手段)ことが必要なので毎日寝る間もなく仕事をして働くとします。
この場合、お金は稼げるかも知れませんが時間はなくなってしまいます。結果、優雅には暮らせません。
お金があっても
時間なし
目的と手段は取り違えてしまいがちです。
元も子もない
本末転倒な状態…
子どもたちに「伝えるという目的」がある場合、指導員は色々な手段を選ぶことができます。
- あそんで
- 褒めて
- 共感して
- 怒って
- 叱って
これらは伝える手段となります。
目的ではない
どの方法が一番子どもにとって最適な伝え方かを判断して取り入れます。
その1つが叱るという関わり方です。
まとめ
怒る叱る理由は、子どもたちに伝えるべき内容があるからです。
ちゃんとしてほしい…
許せない…
という思いが指導員からあふれだすこともあります。
また指導員として、責任ある立場として、子どもの行動をしっかりと注意すること、諭すことは必要です。
- 子どもの安全を守る…
- 子どもの社会性を育む…
ために叱るという関わり方を選択することは必要です。
しかしそれは必要な場合のみです。
- 子どもは叱るべし…
- 厳しく注意するべし…
という考えだけでは、子どもが健やかに育つ権利からみても間違った関わりであると言えます。
叱ることは、手段であって目的ではありません。
目的は「伝えること」です。
伝えるための手段は色々と選べます。
その一つが「叱るという関わり」方です。
それが今回一番お伝えしたいポイントとなります。
叱る関わり方、叱るポイントについては、こちら⇩
まだ準備中…
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前のやつはこちら⇩
最後までお付き合い頂きましてありがとうございます。
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