Rは学校が終わると放課後ひとりでバスケットボールをしています。
彼は学童保育に通う6年生男子です。
そのあと学童保育にRが帰ってくるのは、おやつを食べている時間帯です。
そしてRの気分次第でおやつを食べたり、宿題をしたりします。
- Rを自由にさせすぎている…
- Rのわがままをこれ以上許してはいけない…
このように感じている指導員は、他にも数名います。
私もそのうちのひとりでした。
「全力でRと向き合い、それを伝えれば、Rもわかってくれるはず…わからさなければいけない」という思いが当時の私にありました。
伝える内容は
- 放課後はまっすぐ学童保育に帰っておいで…
- 自分勝手なことはしないで学童保育のルールを守ろう…
という意味の内容です。
Rは
と日頃から言っていました。
低学年が騒ぐ大声も指導員が注意する小言も「うるさい、嫌い…」とRはよく言っていました。
私はRのそのような気持ちを理解しつつ、でもそうなってしまうその状況について「仕方ないよね」「ガマンするしかないね」という関わり方をすることが多かったように記憶しています。
そして
Rは思春期、反抗期にさしかかっているからイライラしている日が多い…何とかしてあげたいけどRが納得いくような生活づくりを中心にしていくのは難しいと思っていました。
なぜなら、Rの思うようにすると
- いつでもどこでもマンガ読むのOK…
- おやつはみんな、好きな時間に自由に食べてOK…
- 放課後の外あそびの時間は無限…
ということになるからです。
今ある生活のルールを大切にするうえで、みんなの生活を守る…という意思を私は強く持っていたので、「そのあたりは譲らない」という思いが当時の私には強くありました。
だから自分の意見とRの意見とのぶつかり合い…という感じになることが多かったように思います。
そして、Rはいつも反抗的な態度をとる難しい性格の子ども…というイメージを指導員に残したまま、Rは学童保育に6年間通い続けました。
この話には続きがあります。
それからまた6年が経ち、R本人が大学に進学したことを伝えにきてくれたことがあります。
なつかしいな…
あのときはよくぶつかり合ったよな…
という話をRとしてもりあがりました。
そしてその時Rが言いました。
俺、今だに学童保育でマンガ読んだらあかんことは理解も納得もできてない…
笑顔を見せず、真面目な顔で言いました。
そこでワタシは思ったことがあります。
大人は子どもと向き合ってきた経験を美化しようとして、「あの頃は色々あったけど、それもいい経験になったよね」という結末を期待してしまいます。
しかし、そこに甘えてはいけない…というか美化するのではなく、本当にRにとって最適な関わりが指導員として当時できていたのか…について考えることが大切であると思いました。
そして、6年ぶりにRと話をして、当時のぶつかり合いを振り返り、ひとつ気づいたことがあります。
それは、当時のRは思春期、反抗期という時期ではあったかも知れません。
しかし、その視点ではなく、Rが本当に訴えたかった内容は別にあったのではないか…ということです。
その内容を想像してみました。
それは、Rは指導員に対し、
- 俺の意見はいつも無視か?
- 俺の気持ちがわかる…とか言うなら俺のことを一番に考えてくれよ
- 1年生中心の生活やみんなの生活とか言うなら6年生の俺のことはどうでもいいのか?
- ぶつかり合いを俺は求めていたんじゃない、反抗期とかで終わらせないで、俺のこの本当の気持ちを理解してくれよ
- 俺はほんとは学童保育が好きだ…たださみしさをどこにもぶつけられないから学童保育で発散していんだ
と思っていたかも知れない…と私は考えてみました。
本当かどうかはわかりません。
これは私の勝手な解釈かも知れません。
しかし、
- 向き合ってきたつもり…
- 思春期だったから仕方がない…
という考えで終わらせてしまうのは、何だか違うような気がしています。
私はRの気持ちを本当の意味で寄り添えてはいなかったのでは?
こんなことを考えました。
本当の意味で寄り添う、向き合うとは…あれから長い年月が経った今、改めて考えさせられました。
そんなRに対する思いを今回ブログにつづらせていただきました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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